文体

後藤明生坂上弘高井有一古井由吉 編集 1978年の創刊号から1980年最終号まで、季刊全12冊を一冊220円で購入。
天下茶屋の喫茶店で、最終号掲載の川村二郎の神社の話を読んだ。神明造とか、権現造とかいう様式論が本題なのだろうが、こちらの勉強不足でお手上げ。ただ、それ以前のレベルでは、大いに刺激になった。近所の散歩が楽しみになってきた。

ジャン・パウル『抜き書き帖』

草稿資料がデジタル化された。

Jean-Paul-Portal: Projektdetails

『抜き書き帖』を自宅で読むことができるようになるとは、研究を始めた頃には夢にも思わなかった。著作権切れの資料も簡単にネット経由で入手することができる。

Heidelbergische Jahrbuecher der Litteratur. Achter Jahrgang. Heidelberg (Mohr und Winter) 1815

Carlo Gozzi: Theatralische Werke, aus d. Italiaenischen u+bersetzt. Zweiter Theil. Bern (bey der typographischen Gesellschaft) 1777

Allgemeine theologische Bibliothek. Erester Band. Mietau (bey Jacob Friedrich Hinz) 1774

ネットがなかった頃には、どこに所蔵されているかもわからなかった資料である。

今や、少なくとも資料収集という点では、ドイツでも日本でも研究条件にそれほど違いはない。どれだけ読み込み、考え抜くことができるか。それだけである。

オールド・テロリスト

村上龍

小説という形式を使って、近年のテロリズムを内側から描いてみせた傑作。

文藝春秋連載は、昨年夏に終わっているはずだが、いまだ単行本がでないのは、どういうわけだろう。

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いや、イスラム国関連の一連のテロは、端的な人間憎悪という点で、『オールド・テロリスト』の域を越えてしまっているのかもしれない。

 

フロイト講義<死の欲動>を読む

小林敏明著
『快原理の彼岸』読解。「死の欲動」という概念がどのような思考過程を経て、形成されたのかが丁寧に追跡されている。
講演記録のようにみえるが、そうではないらしい。
あとがきに、菅谷規矩雄の話が出てくる。名古屋にいた頃は、緑区鳴海の団地に住んでいたという。89年死去というのも、(迂闊にも)今まで知らなかったことだった。学生運動の詩人ということで、遠い人だと思い込んでいたが。

SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

ヤールズ・ユウ(円城塔 訳)
自伝を書いている私が始まりであり、終わりであるという円環構造に、ドッペルゲンガー=モチーフが重ねられている。いかにもジャン・パウル的な構想だが、2010年に発表された、アジア系アメリカ人SF小説なのだ。
だが、よく書けていたのは、主人公の父親。人生に失敗した研究者である。

A=392Hz

CD を買った。

Freiburger Barockorchester が演奏する Brandenburg Concertos。一枚目の一曲目は第一番、というか、とにかく管楽器のあれこれの音が羊雲のように広がっている。けれども、この世界に入り込むのに、それほど時間はかからない。

こういう輝き方もある。

丸で浪漫的アイロニーだ

與次郎は、三四郎の歩きぶりを見て、「もう少し普通の人間らしく歩くがいい」と言う。それに続いて、この言葉が出てくるのだが、一体、どういう歩行だったのか。

三四郎もわざわざ図書館まで戻って、意味を調べている。

獨逸のシュレーゲルが唱え出した言葉で、何でも天才と云うものは、目的も努力もなく、終日ぶらぶら付いて居なくつては駄目だと云う説だと書いてあった。

三四郎は、この説明を読んで、「安心」したというのだが。

昨日、朝日新聞連載分。