神々のたそがれ

アレクセイ・ゲルマン監督
たそがれ、というより、いない、という方が近いだろう。神のいない世界には、時間的にも空間的にも、およそパースペクティヴがない。切れ切れの接写で構成される場面、反復される物語。

文明化を知らない世界。牛や豚と変わらない人間たちが、なんだか殺したり殺されたりしているのだが、なにも進展しない。
ルネサンスのない世界。ボッシュブリューゲルのグロテスク絵画は、なんといってもルネサンスの産物なのだ、と今さらながらに思った。
廊下での立ち話で、ランズマンの最新作が上演されていることを知った。ネットで調べているうちに、この映画を見ておこうと思った。
ランズマンの方は、まだ京都でやっている、が、もう満腹。

文体

後藤明生坂上弘高井有一古井由吉 編集 1978年の創刊号から1980年最終号まで、季刊全12冊を一冊220円で購入。
天下茶屋の喫茶店で、最終号掲載の川村二郎の神社の話を読んだ。神明造とか、権現造とかいう様式論が本題なのだろうが、こちらの勉強不足でお手上げ。ただ、それ以前のレベルでは、大いに刺激になった。近所の散歩が楽しみになってきた。

ジャン・パウル『抜き書き帖』

草稿資料がデジタル化された。

Jean-Paul-Portal: Projektdetails

『抜き書き帖』を自宅で読むことができるようになるとは、研究を始めた頃には夢にも思わなかった。著作権切れの資料も簡単にネット経由で入手することができる。

Heidelbergische Jahrbuecher der Litteratur. Achter Jahrgang. Heidelberg (Mohr und Winter) 1815

Carlo Gozzi: Theatralische Werke, aus d. Italiaenischen u+bersetzt. Zweiter Theil. Bern (bey der typographischen Gesellschaft) 1777

Allgemeine theologische Bibliothek. Erester Band. Mietau (bey Jacob Friedrich Hinz) 1774

ネットがなかった頃には、どこに所蔵されているかもわからなかった資料である。

今や、少なくとも資料収集という点では、ドイツでも日本でも研究条件にそれほど違いはない。どれだけ読み込み、考え抜くことができるか。それだけである。

オールド・テロリスト

村上龍

小説という形式を使って、近年のテロリズムを内側から描いてみせた傑作。

文藝春秋連載は、昨年夏に終わっているはずだが、いまだ単行本がでないのは、どういうわけだろう。

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いや、イスラム国関連の一連のテロは、端的な人間憎悪という点で、『オールド・テロリスト』の域を越えてしまっているのかもしれない。

 

フロイト講義<死の欲動>を読む

小林敏明著
『快原理の彼岸』読解。「死の欲動」という概念がどのような思考過程を経て、形成されたのかが丁寧に追跡されている。
講演記録のようにみえるが、そうではないらしい。
あとがきに、菅谷規矩雄の話が出てくる。名古屋にいた頃は、緑区鳴海の団地に住んでいたという。89年死去というのも、(迂闊にも)今まで知らなかったことだった。学生運動の詩人ということで、遠い人だと思い込んでいたが。

SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

ヤールズ・ユウ(円城塔 訳)
自伝を書いている私が始まりであり、終わりであるという円環構造に、ドッペルゲンガー=モチーフが重ねられている。いかにもジャン・パウル的な構想だが、2010年に発表された、アジア系アメリカ人SF小説なのだ。
だが、よく書けていたのは、主人公の父親。人生に失敗した研究者である。

A=392Hz

CD を買った。

Freiburger Barockorchester が演奏する Brandenburg Concertos。一枚目の一曲目は第一番、というか、とにかく管楽器のあれこれの音が羊雲のように広がっている。けれども、この世界に入り込むのに、それほど時間はかからない。

こういう輝き方もある。