ナボコフ『偉業』

(貝澤哉 訳)光文社古典文庫 主人公マルティンは、作者と同じように、ケンブリッジ大学に入学するのだが、「長いあいだ専攻する学問分野を決められずにいた」。 人間の思考ってものは、星に満たされた宇宙という名の空中ブランコに乗って前へ後ろへすばやく…

Jean-Luc Godard

アレクサンダー・クルーゲが通訳を介して、ゴダールにインタヴュしている。年代不明。 https://www.youtube.com/watch?v=rAr__FRmSQw ドイツロマン派の作品を読んでいる。知られざる作家に多くを負っている。ジャン・パウル、ノヴァーリス・・・

パパイヤ・ママイヤ

乗代雄介 全面黄色のカバーに空色の文字。帯には、「王様のブランチ」で紹介され大反響!、と。 いや、ちょっとどうかな、と思ったが、やはり面白かった。登場人物は、女の子も、男の子も、ホームレスも、みなアタマのいい乗代くん。サリンジャーの小説と同…

ベルリンのナボコフ

『偉業』(貝澤哉 訳 光文社文庫)に付けられた年表によれば、ナボコフは、1919年、クリミアを去って、ケンブリッジ大学に入学。しかし、20年代は、ベルリンで暮らしている。『ディフェンス』も『絶望』もベルリンが舞台である。しかし、ロシア語=英語作家…

エミリー・ブロンデ

E・T・A ホフマンの作品を読んでいたらしい。 (モーム『世界の十大小説』)

ディフェンス

V・ナボコフ 若島正訳 ナボコフのテクストにどんなトリックが仕掛けられているのか。正直なところ、さっぱり解らない。ルージンの人生は、どのようなコンビネーションを構成しているのか。ロリータをハンバート・ハンバートから奪った男が小説のどこで登場し…

朝日新聞大阪版

今朝の一面下段の書籍広告は、子ども向け、大人向け、ウクライナ本が並んでいた。

Eduard Berend, 1883-1973

ジャン・パウル全集歴史的批判版を編集したベーレント はユダヤ人で、一時、ザクセンハウゼンに拘束されていた。 1957年、亡命先のアメリカからドイツに帰国したのは、ジャン・パウルのテクスト校訂作業のためだった。マールバハ文学館の屋根裏部屋が仕事部…

亜免

白秋はこれを、アーメン、と読ませる。 世界一面ニ白金ラジウムノ地雷を爆発(ハジカ)セタマへ、亜免。 (白金交感)

朝日新聞朝刊

今日の将棋欄指了図は、9二から2九へ斜めに駒が並んでいる。F クンが飛車を動かさなかったのは、この並びのためではなかったのか。昨日朝刊、多和田葉子「白鶴亮翅」は、冬になって、雪が積もって、なんだか唐突な「完」だった。

青木保 始原論と終末論

海 1970. 6. 歴史の終わりに救済があるという意識は、普遍ではない。旅から旅へ遍歴を余儀なくされた民族が未来に託した希望、社会的抑圧に苦しむ人びとの希望が、終末論という形になる。革命と終末論の関連は判った。それでは、非歴史的循環論をとった場合…

ガリレオ裁判 ――400年後の真実

田中一郎 岩波新書 いろいろなことが判った- ガリレオ裁判は、1633年、30年戦争の只中で行われた- ローマ教皇ウルバヌス8世は、当時の天文学を理解していた- ガリレオの地位「トスカナ大公付き主席数学者兼哲学者」には、相当の権威があった- ガリレオは、…

古風な舞曲とアリア

レスピーギ 第一組曲の二は、ヴィンツェンツォ・ガリレイのガリアルダという曲に基づいて作られたらしい。

意見広告

「この核兵器で、誰が何を抑止するというの?」の茶色広告は、バーチャル高校野球の青色広告とともに、朝日新聞朝刊の圧巻だった。だが、一面下方、折々のことばと天声人語に挟まれた小さな広報「自由に帰れない故郷・・・」も、目立っていた。白黒ながら場所が…

ロリータ

ナボコフ(若島正 訳) 舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩目にそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。 この呪文のような言葉で、想像の世界が切り拓かれる。ハンバートにとっては、牢獄のような妄想だが、作者と何人かの幸福な読者にとっては、現実からの解放にもな…

フェルメールに敬礼

『窓辺で手紙を読む女』を観た。窓から差し込んでいる光が眩しい。ガラスに女の顔が写っている。窓の縁は青色。デルフトにそんな家があったような気がしてきた。キューピットはなくもながであったが、これだけ色鮮やかにみえるのは、修復のおかげか、気のせ…

テヘランでロリータを読む

アザール・ナフィーシー(市川恵里 訳)河出文庫ナボコフを読むことにどんな意味があるのか。イスラム革命まっただなかで、なぜこの女性たちは『ロリータ』を読むのか。ハンバートの滑稽な物語に隠された残忍さが、テヘランの状況とパラレルになっているから…

Claudio Monteverdi: Vespro della Beata Vergine

Collegium Vocale Gent / Philippe Herreweghe Sancta Maria, ora pro nobis が繰り返されているだけなのだが、聴いているうちに、楽器も同じように歌っているような気がしてくる。いや。たしかに、そう歌っている。

乗代雄介 最高の任務

自分を書くことで自分に書かれる、自分が誰かわからない者だけが、筆のすべりに露出した何かに目をとめ、自分を突き動かしている切実なものに気付くのだ。 自分のことを書かなくても、そうなる。

クチナシ

今日の花はクチナシ。花言葉は「私は幸せすぎる」。 朝ラジオをつけたら、こんな言葉が聞こえてきた。再び、目を覚ますと、ルイージ・ロッシのアリアを歌っている。 これはいったいどんな一日になることだろう、と思ったものだが、いつもと変わらぬ一日だっ…

E. T. A. Hoffmann

6月25日が200年忌にあたるという。昨夜、片山杜秀氏の話がラジオで流れていた。おもしろかったのは、シューマンとの関係。シューマンのクライスレリアーナは、ホフマンのテクストに登場するクライスラーの架空の音楽を、ピアノ曲として再現しようとしたので…

トマス・マン「ドイツとドイツ人」

1945年5月,ナチスドイツが無条件降伏した直後の講演だという。強制収容所が次々と開放され、ナチスの暴力が世界中から非難されているさなかである。非政治的と言われるマンではあるが、彼には、彼の闘いがあった。 今、ロシア人知識人にすべきことがあるとす…

Jean Pauls Verhältnis zu Rousseau: nach den Haupt-Romanen dargestellt (1924)

ルソーの人間像は、国家、社会、職業とは無関係に、ただ自然法則にしたがって形成される。それは、人間以前の動物的段階への転落であり、病的で、疲れた状態の産物である。しかしまた、この人間像が、ドイツの旧体制の桎梏を打ち砕く原動力になった、と。

ミレニアム

坪内 祐三『古くさいぞ私は』が出たのは、2000年。この時点で、オールドタイプを自認していたところに、先見の明があったのかもしれない。コンピュータシステムに誤作動が生じると騒がれたのは、その前年だった。この頃には、パーソナルコンピュータがネット…

20世紀的知性

「オールドタイプ」は、別の箇所(上野『思想家の自伝を読む』62ページ)では、「20世紀的知性」のフリガナになっている。今の若い人たちは、古典を読まなくなった。古典を通して、異質なものへ自分を開いていくことができなくなっている、とオールドタイプ…

オールドタイプ

構造主義の思想がよく読まれていた時代、「自分」や「自己表現」に夢中になることは、どちらかと言えば文化的には恥ずかしくみっともないこと、という気分が一般的にあった。(上野俊哉『思想家の自伝を読む』平凡社新書 2010) こういう感覚は、「80年代的…

喫茶店

診察まで、喫茶店で時間を潰すことにした。 上本町は何度も往き来しているが、一本裏を歩くのは久しぶり。何年か前まで、ちょくちょく出かけに寄っていた喫茶店は、しかし、もう仏具店になっていた。あそこでは『週刊SPA!』の福田和也x坪内祐三対談を読んで…

Bayreuth

バイロイト、といっても、ヴァグナーではなく、ジャン・パウル協会。5月21日に、3年ぶりの総会が開催されるとの便りが届いた。 2025年は、没後200年。3年後にはドイツへ行こう。K先生は、卒中で倒れても、ブコビナまで出かけたのだった。

メルク修道院図書館

伊東章氏による「ドイツのトップニュース 22.04.10」によれば、メルク修道院図書館の改修工事が始まったらしい。ヴィーンからドナウ川を下って?(渡って?)いったように記憶していたが、あらためて地図を見れば、メルク修道院はヴィーンと陸続きである。メ…

ガストン・バシュラール『科学的精神の形成』

及川馥訳 平凡社ライブラリー 社会科学、人文科学から見ると、18世紀啓蒙主義は、自然科学的な世界観の産物だった。ところが、自然科学者からすれば、前科学的なイメージに覆われていた時代、ということになるらしい。