文化批判と社会

アドルノ『プリズメン』第一章(ちくま学芸文庫

『プリズメン』が出たのは、1951年。論文は、49年に執筆された。

アウシュヴィッツ以後、詩を書くとは野蛮である」が気になって、読み直してみた。

文化の中から生まれた文化批判は、ナチにも使われれば、スノッブにも使われる。弁証法的文化批判から内在的批判に至るまで、文化批判が徹底的に批判されるのだが、しかしその一方で、文化批判なしには文化はありえないのである。

問題の一節は、本論の最後の段落にある。

文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終段階に直面している。アウシュヴィッツ以後、詩を書くとは野蛮である。そしてそのことがまた、今日詩を書くことが不可能になった理由を語り出す認識を侵食する。

 

 「詩を書くこと」=文化=野蛮。しかし、それを指摘する批判もまた、野蛮なのである。アウシュヴィッツは、野蛮であると同時に文化である状況、物象化の極限を示している。

で、結論は?

批判的精神は、自己満足的に世界を観照して自己のもとにどどまっている限り、この絶対的物象化に太刀打ちできない。

 

野蛮であることを認めつつ、しかし、詩を書く、批判する、とはどういうことなのか。