「主権者とは、例外に関して決定(決断)を下す者をいう」
例外に「関して」というのは、例外状況でどう判断するのか、だけではなく、現状が例外なのかどうかの判断をも意味するのだ、と。難しいのは、後者の判断かもしれない。
「主権者とは、例外に関して決定(決断)を下す者をいう」
例外に「関して」というのは、例外状況でどう判断するのか、だけではなく、現状が例外なのかどうかの判断をも意味するのだ、と。難しいのは、後者の判断かもしれない。
昨日、今日と二度出かけた。昨日は、台風は逸れたものの、時々、風、雨というお天気のためか、お客さんもまばら。どうなることかと思いきや、今日はまずまず、だったのではなかろうか。
ヴァイス『ヘルダーリン』300円
実を言えば、なにがいいのだか判らないヴァイス劇ではあるが。
ソルジェニーツィン『チューリヒのレーニン』300円
作者、テーマに不足はないが、新潮社の二段ぎっしりつまった活字が辛い。
シュトゥッケンシュミット『シェーンベルク』1000円
原書第一版は1951年刊。巻頭近くに、トマス・マンの手紙が掲載されている。
『モーゼとアーロン』について。「これは、上演を考えてかかれたものではなく、部分的には演奏は全く不可能と考えているくらいで、多分、遠い将来、総合的な、電気発生の音がつくられたら、、、」端々に歴史を感じる。
https://www.deutschlandfunkkultur.de/interpretationen
ハイドンのピアノソナタは、対話のようだという。たしかに、二人のドイツ語の延長上に、むりなく音楽が続いていく。1732年生まれということは、シューマン(1810生)のおじいさんくらいか。
Deutschlandrundfunk.Kultur の音楽番組。
日本時間で、日曜22時から0時まで。
昨夜は、シューマンの第四交響曲をどう演奏するのか、という話。
いくつかのテーマを中心に、聞き比べをするので、素人にも、演奏によってどのくらい曲の感じが違ってくるのかがよく判る。
シューマンのこの作品には、1841年版と51年版の二つのヴァージョンがある。作曲家がそれだけ手を入れたのだから、というわけでもないだろうが、解釈の余地が大きい。曲想に、初期のピアノ曲のようなきままな感じがある。
個人的には、ラジオ番組を録音したカセットテープを何度も聴いた記憶があるが、あれはN響の演奏だったのだろうか。昨夜聴いた演奏の中では、フルトヴェングラーの演奏に一番近かった(のは、あるいは、こちらの主観的な印象なのかもしれない。とにかく一途に聴いていたのだ。その頃は)。
チェリビダッケのゆっくり演奏も、ラトルの軽い第一ヴァージョン演奏もよかった。シャイイ演奏のマーラー版は、全部聴いてみたかった。それから、ちょっと面白かったのは、ノリントンの演奏。解説によれば、シューマン自身のテンポ設定にもっとも忠実、ということなのだが、かなり速い。ロマン派の印象とずいぶん違う。
古典作品とは、音楽にかぎらず、解釈の集大成でもある。当然のこと、と言えば、その通りなのだが、私は、二次文献をあまりに軽視してきたような気がしてきた。