鏡花紀行文集

岩波文庫

達筆というのは、こういう文章を言うのか。自由自在な言葉遣いに、独特の雰囲気が醸し出される。

円山川の面は今、ここに、その、のんどりと和み軟らいだ唇を寄せて、蘆摺れに汀が低い。彳めば、暖かく水に抱かれた心地がして、藻も、水草もとろとろと夢が蕩けそうに裾に靡く。おお、沢山な金魚藻だ。(城崎を憶う)

川の面(おもて)が、唇を寄せてくる、くらいまでは想像できるが、藻がひらひらしているのが、「夢が蕩けそう」というのは、どういうことなのか。理解しているのか、といえば、全然自信がない。しかし、コトバによってしかありえない世界に触れている、ということは判る。

 

教育が悪いのか、はたまた、「紅毛がな」の使いすぎか。主語と述語にがんじがらめになっているからダメなのだ。きっと。