頭の中を翻訳する

先崎学

 

前項の続き。

音楽/将棋/数学 は、それぞれ固有の記号体系をもっているが、記号体系そのものの役割が違う。

数学は、記号によって書かれたものが、まさに数学の実体である。図とか、グラフとかは、便宜的な下絵にすぎない。最終的に、数式になるから、数学なのである(多分)。

しかし、音楽はどうか。音符は、音を表す便宜的な符号にすぎない。音符が表すことのできるのは、音の長さと高さ、強さ、あるいは、その組み合わせによって、拍子や音階といったことだけである。実際の音にただよう微妙なニュアンスを再現しているとはとても言えない。記号体系として考えても、楽譜にはメタレベルがない(多分。とはいえ、一音の意味が、前後、上下の連なりで決定される、という意味では、音符で音符を説明しているといえないこともない)。

 

さて、では、将棋は?

『将棋 エッセイコレクション』に収められている先崎氏の一文を読んで、もう一度、考え直す必要があると思った。