バーリン(佐々木毅 訳)「自然科学と人文学の分裂」

岩波文庫マキアヴェッリの独創性』所収。

バーリンは、文系/理系の分岐がヴィーコ  (Giambattista Vico) のあたりで生じたと考えている。
ヴィーコ歴史観が、どういう意味で人文学なのか。ヴィーコアウグスティヌスに遡り、人間が知りうるのは、人間によって作られたものだけであると考える。人間の歴史は、人間によって作られるから、「人間が内側から知りうるもう一つの領域」なのである。
書き出せば単純な繋がりだが、「人間が知りうるのは・・・」から「人間の歴史は・・・」に思い至るまで10年かかったと言われる。
ところで、「内側から知りうる」とはどういうことなのか。

人類史は外的世界のように、事物と出来事、それらの同時存在と継起・・・からのみ成るのではなく、人間の活動の歴史、人間が何をなし、考え、苦しみ、何を求め、目標にし、受容し、拒絶し、考え、想像し、その感情が何に向かったかといったことについての歴史である。・・・われわれはこれらの活動に観察者としてでなく活動者として関わり合うがゆえに、それを直接知る。   (160ページ)

それゆえ、外的世界の尺度となった数学を、人間の活動の歴史にあてはめることはできないのだ、と。
ニュートンは、1642年生まれ。ヴィーコは1668年生まれ。ヴィーコニュートンよりほぼ一世代若い。しかし、さらに一世代後のヴォルテール (1694年生)は、歴史を進歩という外的な価値観によって評価していた。