與次郎は、三四郎の歩きぶりを見て、「もう少し普通の人間らしく歩くがいい」と言う。それに続いて、この言葉が出てくるのだが、一体、どういう歩行だったのか。
三四郎もわざわざ図書館まで戻って、意味を調べている。
獨逸のシュレーゲルが唱え出した言葉で、何でも天才と云うものは、目的も努力もなく、終日ぶらぶら付いて居なくつては駄目だと云う説だと書いてあった。
三四郎は、この説明を読んで、「安心」したというのだが。
昨日、朝日新聞連載分。
與次郎は、三四郎の歩きぶりを見て、「もう少し普通の人間らしく歩くがいい」と言う。それに続いて、この言葉が出てくるのだが、一体、どういう歩行だったのか。
三四郎もわざわざ図書館まで戻って、意味を調べている。
獨逸のシュレーゲルが唱え出した言葉で、何でも天才と云うものは、目的も努力もなく、終日ぶらぶら付いて居なくつては駄目だと云う説だと書いてあった。
三四郎は、この説明を読んで、「安心」したというのだが。
昨日、朝日新聞連載分。
übersetzt v. Fr. Justin Bertuch (1775 / 77), 350 E.
Antiquariat Heubeck, Nürnberg
デューラー広場を歩いていたら、古本屋さんを見つけた。これだけのコレクションをもちながら、ホームページがない、という。
他に、
Fenelon „Telemach“ übersetzt v. Benjamin Neukirch (1738), 650 E.
E. T. A. H. Werke, hg. v. W. Harich
1823年創業、ヘッセも働いていたというチュービンゲンの古書店。シュティフト教会の広場にある。由緒ある店ということなのか、14時始まりである。
たしかに、古い。細い通路の奥に、薄暗い入口がある。狭い店にカウンターと雑然と並べられたり、積まれたりしている本。当時(おそらくヘッセが働いていた)の店を再現しているのだ、と気づいたのは、一通り棚を見た後だった。それにしても、期待はずれだった。店番をしていたのが、今日が初めてという学生らしい女性で、なにも知らない。となりの部屋には相当本が並んでいるようだったが、ヘッセの部屋ということで、店主のいる週末だけしか中に入ることができない。自分はカギをもっていないのだ、と。愛想のいい子だが、これでは話にならない。ちょっと迷ったのは、コメレル。
しかし、これならちょっと探せば、手に入りそうである。先に、Wilhelmstr.の Bader という店で、何冊か買ってしまったということもあった。
ああ、しかし。あとからネットをみて愕然。
最後のページが欠けているとはいえ、こんなものも持っている本屋さんなのだ。180,00 E. もし、こんなのが出てきたら、ものすごく迷ったに違いない。
ドイツ語圏内外の図書館目録を縦断検索できる。
フィルターをかけて、デジタル化された資料を調べてみると、18世紀の文献はかなりデジタル化が進んでいることが分かる。しかも、大体、丸ごとダウンロードできるようになっている。
ぼろぼろ出てくるので、調子にのってダウンロードしていたが、こういう仕事ならドイツにいなくてもできる。
河辺実 編
医学書を読むとなると、役に立つ。"vegatativ" というのは、植物性ではなく、自律神経なのだった。
上本町の古本屋さんで随分前に買った辞書。値引きに継ぐ、値引きということか、14500円、4000円、3500円と売値が書き換えられている。あの店も、いつの間にか、なくなっていた。