Tamara Lukasheva: Mein Dunkel.

ラジオを聴いていたら、リルケの詩を歌っていた。

Mein Dunkel, mein Dunkel, da steh ich mit dir

私の闇とともに立って、私は強く願っている。
全てのものに向けて一つの声、唯一の叫びが私から湧き出てくることを。
一つの鳥の啼き声が、何千回も、叫びとなり、また、叫びとなり、大気の心と一つになり、森の心と一つになるとき、私の数々のコトバはなんだというのか?

Quasimodogeniti

復活祭後の最初の日曜日を「クウァジモードゲニティ」と言うのだ、と。

 „Quasi modo geniti infantes“
生まれたばかりの乳飲み子のように(ペトロの手紙 2.2)

「理に適った、混じりけのない乳を慕い求めなさい」と続くのだが、この「理に適った」は、ドイツ語では、vernünftig となっている。

seid begierig nach der vernünftigen lauteren Milch wie die neugeborenen Kindlein

 

 

Willem Mengelberg

Expressives Klangtheater: Willem Mengelberg und Bachs Matthäus-Passion

https://www.deutschlandfunkkultur.de/expressives-klangtheater-willem-mengelberg-und-bachs-matthaeus-passion-100.html

メンゲルベルクというと、どうしても1939年のドイツを思わずにはいられない。
しかし、マーラーがバッハを演奏したら、こんな感じになるのかもしれない。
グールドも称賛している、という。

VDT症候群

VDT(Visual Display Terminals)に関わることが増えて、心身の不調をまねいているという。日本の町トヨアケでは、条例でディスプレイを見る時間を2時間に制限している、と。

(Deutschlandfunk Kultur: Mittel gegen die Bildschirmsucht)