復活祭後の最初の日曜日を「クウァジモードゲニティ」と言うのだ、と。
„Quasi modo geniti infantes“
生まれたばかりの乳飲み子のように(ペトロの手紙 2.2)
「理に適った、混じりけのない乳を慕い求めなさい」と続くのだが、この「理に適った」は、ドイツ語では、vernünftig となっている。
seid begierig nach der vernünftigen lauteren Milch wie die neugeborenen Kindlein
復活祭後の最初の日曜日を「クウァジモードゲニティ」と言うのだ、と。
„Quasi modo geniti infantes“
生まれたばかりの乳飲み子のように(ペトロの手紙 2.2)
「理に適った、混じりけのない乳を慕い求めなさい」と続くのだが、この「理に適った」は、ドイツ語では、vernünftig となっている。
seid begierig nach der vernünftigen lauteren Milch wie die neugeborenen Kindlein
Expressives Klangtheater: Willem Mengelberg und Bachs Matthäus-Passion
メンゲルベルクというと、どうしても1939年のドイツを思わずにはいられない。
しかし、マーラーがバッハを演奏したら、こんな感じになるのかもしれない。
グールドも称賛している、という。
今日は、受胎告知の日
一つの時代の終わり、と、つい思いたくなるが、そういう短絡的な感想こそ自戒すべきだろう。社会的なコミュニケーションは今こそ、考えなければならないテーマである。
VDT(Visual Display Terminals)に関わることが増えて、心身の不調をまねいているという。日本の町トヨアケでは、条例でディスプレイを見る時間を2時間に制限している、と。
(Deutschlandfunk Kultur: Mittel gegen die Bildschirmsucht)
Max Frischは、自分の若書きの原稿を全部焼却した。アビトゥアが残っているなどありえないと思われていたが、ある人が高校の書庫から持ち逃げしていたらしい。論文がフリッシュ財団に送られてきた。
タイトルは「近代技術の光と影の側面」。19歳のフリッシュによれば、幸福という観点からすれば技術は拒否されるべきだ、と。
(Deutschlandfunk Kultur)
ふりかけご飯を食べるは、久しぶり。
発売65周年、なのだそうだ。
ボクと同じである。