Tahsim Durgun というクルド人とその叔母のドイツレポート。第3回のヨーデル教室には、日本人も登場する。
Tamara Lukasheva: Mein Dunkel.
ラジオを聴いていたら、リルケの詩を歌っていた。
Mein Dunkel, mein Dunkel, da steh ich mit dir
私の闇とともに立って、私は強く願っている。
全てのものに向けて一つの声、唯一の叫びが私から湧き出てくることを。
一つの鳥の啼き声が、何千回も、叫びとなり、また、叫びとなり、大気の心と一つになり、森の心と一つになるとき、私の数々のコトバはなんだというのか?
Quasimodogeniti
復活祭後の最初の日曜日を「クウァジモードゲニティ」と言うのだ、と。
„Quasi modo geniti infantes“
生まれたばかりの乳飲み子のように(ペトロの手紙 2.2)
「理に適った、混じりけのない乳を慕い求めなさい」と続くのだが、この「理に適った」は、ドイツ語では、vernünftig となっている。
seid begierig nach der vernünftigen lauteren Milch wie die neugeborenen Kindlein
Willem Mengelberg
Expressives Klangtheater: Willem Mengelberg und Bachs Matthäus-Passion
メンゲルベルクというと、どうしても1939年のドイツを思わずにはいられない。
しかし、マーラーがバッハを演奏したら、こんな感じになるのかもしれない。
グールドも称賛している、という。
Verkündigung
今日は、受胎告知の日
Jürgen Habermas ist tot.
一つの時代の終わり、と、つい思いたくなるが、そういう短絡的な感想こそ自戒すべきだろう。社会的なコミュニケーションは今こそ、考えなければならないテーマである。
VDT症候群
VDT(Visual Display Terminals)に関わることが増えて、心身の不調をまねいているという。日本の町トヨアケでは、条例でディスプレイを見る時間を2時間に制限している、と。
(Deutschlandfunk Kultur: Mittel gegen die Bildschirmsucht)