2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧
丸山眞男は、フルトヴェングラーがギリギリまでドイツに留まったのは、この指揮者が「自分の芸術がドイツの国土との結びつきを離れてはありえないという自覚」持っていたから、と言う。フルトヴェングラーは、ユダヤ系の芸術家のように、コスモポリタンでは…
あれこれ遊んでいるうちに気づいたこと。概して南方の音楽、アフリカ、中東、インドの方が、性に合っている。東アジアはどうも苦手。
直訳すれば「5番目の車輪になる」。すなわち、「余分な、招かざる人、事である」。なるほど。たしかにおもしろいイメージではある。けれども、それを小説に書き込むならば、外国語としての違和感を残すような形にした方がいいのでは。新聞小説とはいえ、ただ…
ベートーベンは西洋音楽史の頂点に立つ。爆発的なパトスを古典的な合理的形式の枠組みで響かせた。現代音楽は、調性が破壊されているがゆえに、評価しない。ワーグナーの楽劇は、神話的世界を舞台にしているところに普遍性がある。現代社会を舞台にする演出…
19世紀ロシアの、とりわけ知識人たちは、西欧的な知識や教養を身につけつつも、自らの内面に横たわる「ロシア的なもの」を模索し続けていた。私もそうだが、少し以前の日本の青年たちは、たいてい19世紀ロシアの偉大な作家や音楽家に魅了されていたもの…
新聞で紹介されていたサイトを覗いてみた。世界各国の音楽放送局にリンクしているだけなのだが、地図上で選択するところがおもしろい。 ドイツ、フランケン地方にも小さな点がちらばっている。ニュルンベルク、エアランゲン、バンベルク、ペグニッツ、バイロ…
またたとえ読む本をくまなく記憶しているつもりでも、じつは本のいくつかの断片しか記憶していない。そしてそれらの断片は、小島のように、忘却という名の大海に浮かんでいるのである。(ピエール・バイヤール 大浦康介訳 読んでいない本について堂々と語る…
リヒテルが70年に録音したCDがあったので、ロ短調プレリュードを聴き直してみた。こうやって一曲だけ聴いてみると、たしかにすばらしい。全曲聴くと疲れるのはどうしてなのか。
フィリップ・マーロウ(『ロング・グッドバイ』村上春樹訳)の名台詞だが、フランス語は、 Partir, c’est mourir un peu. Mais mourir, c’est partir beaucoup. 死ぬこと、それはたくさんさよならを言うことだ、と続く。 partir は、もちろん、「立ち去る」…
ところで、不在とは他者についてのみ言えることなのだ。出発するのは相手の方であり、わたしはとどまる。あの人はたえず出発し、旅立とうとしている。本来が移動するもの、逃げ去るものなのだ。これとは逆に、わたしは、恋をしているわたしは、本来が引きこ…
古本屋で購入。上下300円。1958年に1刷、1968年に11刷が出ている。 最初に、飛ばし読みの話が出てくる。 長編小説は全てを論じることができない。論じるのは、長大なテクストのごく一部。そこを通して、しかし、テクストのすべてが見えてくるはずなのだ。
メタバースを特集。 メタバースの世界そのものは、ひょっとすると、かなり古典的な物語世界なのかもしれない。主人公は私!
昔、中国のある高官が歌姫に恋をした。「わたしの部屋の窓の下で、床几にすわって百夜お待ちくだされば、あなたのものになりましょう」、女はそう言った。九十九日目の夜、くだんの高官は立ち上がり、床几をこわきに立ち去ってしまった。 (バルト『恋愛のデ…
Michel Eltchaninoff という哲学者の "In Putins Kopf"(プーチンの頭)という本が紹介されていた。大統領に就任した当初、 プーチンの愛読書は、カントだった。ドイツ=ロシア(ケーニヒスベルク=カリングラード)の平和の哲学者。しかし、遅くとも2012年…
私が素描しようとしている肯定の(能動の)方法は、恋愛主体にとって、お返しに愛してもらおう、そのことを知ろう、そのことを確信しようなどという必要性から発しているわけではない。そうではなく、少なくとも一度は、自分自身のものと同じぐらい断定的で…
『恋愛のディスクール・断章』は、1980年に翻訳が出ている。みすず書房の上品な表紙から想像した以上に、わけの分からないテクストだった。読みかけては放り出し、しかしまた、なんだか気になって読み始める、という読書が続いた。いつの間にか書架の下の方…
バルト:恋愛のディスクール。1976年2月19日の講義。苦悩 Angoisse というフィギュールの定義:「恋愛主体は、ささいな出来事が起こるにつけて、危険や痛手、情緒的な破滅に対する激しい恐怖に駆られるのを感じるが、それは主体が苦悩という名で言語化する感…
朝日新聞(大阪版)11日、12日によれば、音楽界でもロシアボイコットが起こっているという。指揮者ゲルギエフは、プーチン大統領に近いと言われるだけに、まあ、そういうことも起こりうるかもしれないとは思う。オーケストラを経営するためには、政治的な行…
Berliner Philharmoniker Digital Concert HallKurt Schwitters ”Ursolate" を演奏 (?) している。こういうイベントは、デジタルコンサートだから観ることができる。と、思ったら、今や、サイトをちょっと検索すると、いろいろ出てくるのだった。
気になったので、前後を調べてみた。http://www.koelnklavier.de/quellen/schumann/kr080.html Und diese himmlische Länge der Symphonie, wie ein dicker Roman in vier Bänden etwa von Jean Paul, der auch niemals endigen kann, und aus den besten Gr…
長らく放置していた7日間無料チケットを使ってみた。2021年8月27日演奏会。ペトレンコ指揮で、ウェーバー『オベロン』、ヒンデミット『ウェーバーの主題による・・・』、シューベルト交響曲8番(かつては、8番と言えば未完成だったが)。シューベルトは、こ…
アナーキズムを特集している。
ロラン・バルト『恋愛のディスクール』1976年2月19日講義フィギュールとしての〈恋愛〉は以下のように「定義」される。「概念として、〈恋愛〉は必ず恋愛主体によって操られるイメージを構成する。しかしながら、そのフィギュールは恋愛主体が〈恋愛〉につい…
大阪出身だったのだ。1898年に生まれて、1928年に亡くなっている。パリに渡航したのが、1924年。ちょうど黄金時代、一番いい時期に留学していたことになる。行き先をデッサウにしていたら、どうだったのだろうか。中之島美術館会館記念展開催中だが、新型コ…
朝日新聞連載 なんだかドイツ社会文化講義みたいな話が続いている。私が退屈するのは、ドイツのことを多少知っているからなのか。ひょっとすると、生物学に通じた人にとっては、『ドリトル先生』は全然おもしろくないのかもしれない。白鶴亮翅の意味を調べる…
「どんな量であれ、文学をこととする者すべてに向けてのアピール」(Arno Schmidt) ジャン・パウル協会の年報を整理していたら、Klaus Pauler の追悼文が見つかった (JbJPG 2018)。1982年10月19日にフュルトの市立図書館で行った講演を、パウラーはこの言葉で…
バルト『恋愛のディスクール』1975年2月6日の講義「言語活動のエロス化」、とバルトは言う。「言語活動(ディスクール)は肌のようで、広大な『性感帯』のようである」と。ディスクールを、かぎりなく音楽に近いところで読んでいる。しかし、おもしろいのは…
朝日新聞連載地球の穴を突き抜けて、反対側に到着するまでの時間は、よく判らなかったが、それでもおもしろい。ずいぶん前になるが、チャールズ・ダーウィンとドリトル先生との間でどんな話が交わされたのか、スタビンズ君はもう少し丁寧に記録しておいてほ…