天国的な長さ

気になったので、前後を調べてみた。
http://www.koelnklavier.de/quellen/schumann/kr080.html

Und diese himmlische Länge der Symphonie, wie ein dicker Roman in vier Bänden etwa von Jean Paul, der auch niemals endigen kann, und aus den besten Gründen zwar, um auch den Leser hinterher nachschaffen zu lassen. Wie erlabt dies, dies Gefühl von Reichthum überall, während man bei anderen immer das Ende fürchten muß und so oft betrübt wird, getäuscht zu werden. 

この交響曲の天国的な長さ。それは、たとえばジャン・パウルの四巻からなる分厚い小説のようである。この小説も終わりがないのだが、それはもっともいい意味でそうなのであり、読者にさらに続きを補うように促すためなのである。このことによって、どれほど爽やかな気持ちになることか。いたるところにちりばめられた豊かさの感じ。この感じがないと、われわれはいつも終わりを恐れずにいられない。幻滅させられるのではないかと暗澹とすることも稀ではない。

シューマンは、ジャン・パウルのどの小説のことを言っているのだろうか? 
『生意気盛り』は全四巻。主人公ヴァルトの長い夢が最後に語られているが、これはそもそもこの小説の終わりになるのかどうか。双子のヴルトはフルートを吹きながら旅に出ることになるが、これもその後があってもおかしくない。
『貧乏弁護士ジーベンケース』第二版も全四巻。物語の終わりで、「復活」した貧乏弁護士の新しい生活が始まる。主人公の結婚、主人公の死は、物語の終わりの合図といっていいのかもしれないが、この小説は、結婚で始まり、結婚で終わる。主人公は一度、死んで、蘇る。始まりと終わりがどうもおかしい。
『巨人』も全四巻。小説の終わりで、主人公の出自が明らかになり、国王として新たな統治が始まる。
『宵の明星』も全四巻。この小説でも、最後に主人公が市民であることが分かり、めでたく結婚する。
『巨人』と『宵の明星』の終わりは、終わった、という感じがする。
この他、『見えないロッジ』、『彗星』は未完。実際に終わっていないのであるが、そもそも最初から、果てしない物語になりそうな物語なのだった。