恋愛主体は言語である

バルト:恋愛のディスクール。1976年2月19日の講義。
苦悩 Angoisse というフィギュールの定義:
「恋愛主体は、ささいな出来事が起こるにつけて、危険や痛手、情緒的な破滅に対する激しい恐怖に駆られるのを感じるが、それは主体が苦悩という名で言語化する感情である。」
若きウェルテルの悩みは、フランスで、Les Souffrances du jeune Werther。
このフィギュールの最後は、「苦悶 Agony ?」という項目になっている。
「苦悩とは〈恋愛〉の始まりから、トラウマの時点から、実際にはすでに起こってしまった喪に対する恐怖なのだ。喪に服すること(・・・)はただ単に起こったことを受け入れることだ。恋する者にはこう言うべきだろう:もう心を痛めるのはおやめなさい。あなたはすでにあの人を失っているのだから。」
最初から失われているのである。少なくともウェルテルの場合は。