恋愛 Amour

ロラン・バルト『恋愛のディスクール』1976年2月19日講義
フィギュールとしての〈恋愛〉は以下のように「定義」される。
「概念として、〈恋愛〉は必ず恋愛主体によって操られるイメージを構成する。しかしながら、そのフィギュールは恋愛主体が〈恋愛〉について考えるものを対象としない。」イメージされているものと考えられているものが違っている。あるいは、恋愛主体がどう言おうと、実際には、〈恋愛〉を考えているわけではない。「恋愛主体とはまさしく自分が恋愛について考えていることを言い表せない」。

恋愛主体が言い表そうとしているのは、「『良い恋愛』と『悪い恋愛』が、十分に正当とみなされないやり方で相反するとき、メタ言語のの側から見て〈恋愛〉が対象となるような価値評価をはっきりさせようと自らが行う絶え間ない調査」なのである、と。
「もしあなたが恋愛をしているなら、〈恋愛〉についての(メタ言語で書かれた)本を探す」。ちょうど、糖尿病にかかったときに、糖尿病の解説本を探すように。
「恋愛小説は恋する読者を(本質において)存在させる」