なぜ

『恋愛のディスクール・断章』は、1980年に翻訳が出ている。みすず書房の上品な表紙から想像した以上に、わけの分からないテクストだった。読みかけては放り出し、しかしまた、なんだか気になって読み始める、という読書が続いた。
いつの間にか書架の下の方に並べたままになっていたのを取り出してみると、付箋がついている。

とてつもない逆説ではあるが、このわたしは、自分が愛されていることを信じてやまない。それが真実なのである。わたしは自分の望むところを幻覚化しているのだ。したがって、この心の痛手は、疑惑よりもむしろ裏切りから来ている。(・・・)あの人にとっては、わたしを愛することがその存在の本質をなしている。ところが、あの人はときとしてこの本質に背くことになる。それがわたしの不幸の起源なのだ。(・・・)ある日わたしは、わが身に何が起こっていたのかを理解する。愛されていないから苦しんでいるつもりでいたけれど、実は、自分が愛されていると思いこんでいたればこその苦しみだったのだ。

こういう所に付箋をつけるものかなあ。
ところで、2021年に出た『セミナー』の方には、「なぜ」というフィギュールが(少なくとも索引には)ない。あるいは、「私は―あなたを―愛しています Je-t-aime」(1976年1月29日の講義)がそれにあたるのだろうか。

フロイト:「[・・・]幻覚が起こるのは、呼びかけの叫びにおいてである」。確かに「わたしは―あなたを―愛しています」は「私も」という答えを幻覚として聞く。叫びとしては、「わたしは―あなたを―愛しています」はすべての否定的態度を拒む→叫びの幻覚。