そのとき主体の恋愛全体が言葉の探求のようなものとして立ち現れるのだ

私が素描しようとしている肯定の(能動の)方法は、恋愛主体にとって、お返しに愛してもらおう、そのことを知ろう、そのことを確信しようなどという必要性から発しているわけではない。そうではなく、少なくとも一度は、自分自身のものと同じぐらい断定的で、完全で、はっきりと言われ、一言文的な叫びの形式のもとに、そう言われるのを聞くという必要性からである(・・・)。このようにして、不思議な方法、魔法の方法が主体に対して(その主体に哲学的に付き添おうとしている我々に対して)開かれる:重要なのは、この言葉の物質的な、肉体の、唇の発語行為なのだ。主体が狂ったように欲するのは、言葉を獲得することであり、そのとき主体の恋愛全体が言葉の探求のようなものとして立ち現れるのだ。

(1976年1月29日の講義 私は―あなたを―愛しています)