das fünfte Rad am Wagen sein

直訳すれば「5番目の車輪になる」。すなわち、「余分な、招かざる人、事である」。
なるほど。
たしかにおもしろいイメージではある。けれども、それを小説に書き込むならば、外国語としての違和感を残すような形にした方がいいのでは。新聞小説とはいえ、ただ説明するだけではもったいない。

多和田葉子『白鶴亮翅』
朝日新聞 DIGITAL 2022. 3. 28. (https://www.asahi.com/articles/DA3S15247384.html)