読め!

「どんな量であれ、文学をこととする者すべてに向けてのアピール」(Arno Schmidt)

ジャン・パウル協会の年報を整理していたら、Klaus Pauler の追悼文が見つかった (JbJPG 2018)。1982年10月19日にフュルトの市立図書館で行った講演を、パウラーはこの言葉で始めたという。
1934年シュヴァインフルトの生まれ。70年代末に、エーバーマンシュタットに居を構える。サイトを調べると、Ebermannstadt. Das Herz der fränkischen Schweiz!「フランケン山地の心臓」とある。 フォルヒハイムから少し奥に入ったところにあるらしい。建築技師として、Pauler & Lang という事務所を開くかたわら、"offizin p + p" というチームを妻と自宅で立ち上げ、出版作業に携わる。出版技術が急速に変化を遂げつつあったこの時期に、いつも最新の技術をもっていたといわれる。ジャン・パウル『見えないロッジ』の第一版と第二版が横に並ぶ大判テクストはここで作られた。

ルイジ・ノーノプロメテオ』の総譜を読んで、文学作品との関連を説くことができたともいわれる。