『楡家の人びと』
北杜夫
トマス・マンを読むなら、楡家の人びと、と、勧められたことがある。
作者は、マンのどこを学んだのだろうか。
- 戯画化された人物像
- 史実と(虚構の)家族史の交差
しかしまた、
- 自然描写
- 病気、死の描写
- 戦争体験の記述(城木という登場人物を設定してまでして、戦争を書き込んでいる。ほとんど戯画化されることがないという点で例外的)
は、マンにはない、作者の圧倒的な力量を示す部分でもある。
そして、『ブッテンブローク』の芸術家モチーフは、おそらく意識的に、無視、あるいは、縮小されている(徹吉の学者気質がそれに当たるか)。さらに、後年のマンの作品に現れる、作中の芸術論、作品化された小説論が欠けているのは、ひょっとすると、日本文学の問題なのかもしれない。
徹吉の『精神医学史』で、カタカナ書きの固有名詞が列挙されているのは、修辞的な脱線だろうとは思う。しかし、気になる(第二部、2章、4章、8章)。やはり18世紀、フランス、ピネル、なのか。
The Danish String Quartet
Per Nørgård: SQ Nr. 1, Quartetto Breve (1952)
Schostokowitsch: SQ Nr. 15, Es-Moll, op. 144 (1974)
Beethoven: SQ Nr. 12, Es-Dur op. 127 (1823/24)
音を押し殺したような二つの曲の後に、ベートーベンを聴くと、アダージョですら晩年の重苦しさを感じる。
Ferrucio Busoni
GrauSchumacher Piano Duo
Improvisation (1916)
Fantasie (1922)
Duettino Concertante (1919)
Fantasia contrappuntistica (1921)
生誕150年になる。
演奏会は、二台のピアノのための作品。なんだかオルガン曲みたいだった。
[本]のメルマガ vol.617
なにはともあれ書きたいという情熱がなければ、モノを書くことはできない。
楽しそうに書いている人の文章を読むと、羨ましくなる。
長らく受信したままになっていたメルマガだが、読んでみれば、なんだかおもしろい。
たまたま spam となってひっかかっていた、というのも、いかにも通信である。