ひかり埃のきみ

福田尚代

回文。前から読んでも、後ろから読んでも同じ文字列。たとえば、

眼鏡がない。田舎ね。カメ
めがねがない。いなかね。かめ。

なんていうレベルなら、ちょっと考えればできる。

しかし、これが何行にも渡り、次から次へと何ページもくり出されてくると、もう目が回りそう。
言葉遊びは、詩が一定の音の組み合わせからなることを思い出させてくれる。けれども、それだけでは、なにかが足りない。なにか強烈なイメージが欲しい。しかし、これだけ回文が連ねられると、連なっているだけで、独特のイメージが喚起される。