バビロンの流れのほとりにて

森有正

1冊150円の古本棚でも、この本は静かに輝いていた。いなかの本屋さんで手にとったのは、この背中に惹かれてのことだったのかもしれない。装丁は栃折久美子。初版19刷(昭和55年刊)。そんなに売れたのか。

これは美が、人間の内面とは関係なしに、それ自体で結晶したものだ。 

 ピザの斜塔がそんな塔なのか、といえば、おそらく違う。幻想のヨーロッパ文明。にもかかわらず先を読まずにはいられないのは、文体の力なのだ、と今にして思う。

四天王寺古本市

昨日、今日と二度出かけた。昨日は、台風は逸れたものの、時々、風、雨というお天気のためか、お客さんもまばら。どうなることかと思いきや、今日はまずまず、だったのではなかろうか。

ヴァイス『ヘルダーリン』300円
実を言えば、なにがいいのだか判らないヴァイス劇ではあるが。

ソルジェニーツィンチューリヒレーニン』300円
作者、テーマに不足はないが、新潮社の二段ぎっしりつまった活字が辛い。

シュトゥッケンシュミット『シェーンベルク』1000円
原書第一版は1951年刊。巻頭近くに、トマス・マンの手紙が掲載されている。
『モーゼとアーロン』について。「これは、上演を考えてかかれたものではなく、部分的には演奏は全く不可能と考えているくらいで、多分、遠い将来、総合的な、電気発生の音がつくられたら、、、」端々に歴史を感じる。

鈴木武樹訳『見えないロッジ・第一部』

ジャン・パウル=文学全集1(創土社

天牛堺書店にて購入。2巻揃いでゴム止め。各980円。

拾い読みしてみて、判ったことは何か? 

もし新訳を出すつもりなら、この翻訳は読まない方がいい。この文体で訳し始めたら、多分、この翻訳を超えることはできないだろう。この本が出たのは、1975年。さらにそれから40年あまりの年月を経て、なお、その先が見えないとはどういうことなのか?

ちなみに、訳者は、34年生まれということなので、当時41歳だったことになる。

 

Interpretationen

Deutschlandrundfunk.Kultur の音楽番組。
日本時間で、日曜22時から0時まで。

昨夜は、シューマンの第四交響曲をどう演奏するのか、という話。
いくつかのテーマを中心に、聞き比べをするので、素人にも、演奏によってどのくらい曲の感じが違ってくるのかがよく判る。

シューマンのこの作品には、1841年版と51年版の二つのヴァージョンがある。作曲家がそれだけ手を入れたのだから、というわけでもないだろうが、解釈の余地が大きい。曲想に、初期のピアノ曲のようなきままな感じがある。

個人的には、ラジオ番組を録音したカセットテープを何度も聴いた記憶があるが、あれはN響の演奏だったのだろうか。昨夜聴いた演奏の中では、フルトヴェングラーの演奏に一番近かった(のは、あるいは、こちらの主観的な印象なのかもしれない。とにかく一途に聴いていたのだ。その頃は)。

チェリビダッケのゆっくり演奏も、ラトルの軽い第一ヴァージョン演奏もよかった。シャイイ演奏のマーラー版は、全部聴いてみたかった。それから、ちょっと面白かったのは、ノリントンの演奏。解説によれば、シューマン自身のテンポ設定にもっとも忠実、ということなのだが、かなり速い。ロマン派の印象とずいぶん違う。

古典作品とは、音楽にかぎらず、解釈の集大成でもある。当然のこと、と言えば、その通りなのだが、私は、二次文献をあまりに軽視してきたような気がしてきた。

Joachim Kaiser

dradio.de / Kultur を聴いていたら、シューマンクライスレリアーナの話をしていた。一曲ずつ、それがどういう音楽なのか、言葉をつくして語っていく。そして、それぞれの曲について、何人かの演奏を紹介していた。

まず、ヴィルヘルム・ケンプが出てくるのは、世代的な感性なのだろうか。ケンプ77歳の演奏には、なにかしらまどろっこしさがある。ブレンデルは、同じテンポで弾いているが、コントラストがはっきりしている。が、ケンプの抒情的な演奏はいまだ一聴の価値がある(と言いつつ、第二曲はケンプではなく、ウチダの演奏を聴くのだった)。別のところでは、ケンプ(父親オルガニストだった)のゆっくりとしたアルペジオを聴き、シューマンがバッハのトッカータとフーガをどうやって取り込んでいるのかが示される。

ホロヴィッツを驚嘆させたアシュケナージの早弾き。内田光子コクトーの対比。シフ、ルビンシュタイン、ルプー、とならべて聴いてみると、一つのフレーズがそれぞれ独特のニュアンスで立ち上がってくることが判る。

ホロヴィッツが、アイヘンドルフの詩を諳んじていたという話。ルビンシュタインが当然のように語るピアノテクニックは、他の誰かが試みてもまったく効果を発揮しない、といった話。コルトーの間違った打鍵を、自分の正確な打鍵よりも高く評価していたグルダの話。

終曲は、ホロヴィッツが1969に録音した演奏。後年の演奏はダメなのだ、と。もちろん、途中、第一交響曲(マリナー指揮)の一節が挿入されたりもする。

Süddeutsche Zeitung で音楽評論を書いていたが、今年の5月に亡くなった。