ベルリンのナボコフ

『偉業』(貝澤哉 訳 光文社文庫)に付けられた年表によれば、ナボコフは、1919年、クリミアを去って、ケンブリッジ大学に入学。しかし、20年代は、ベルリンで暮らしている。『ディフェンス』も『絶望』もベルリンが舞台である。
しかし、ロシア語=英語作家がなぜベルリンなのか。

ウィキペディア「クリミア地方政府」の記事には以下のような記載がある。

1917年のロシアでの十月革命を受けて、クリミア・タタール人によって結成された政府はクリミア人民共和国の独立を宣言した。この国家は翌年初めにボリシェヴィキに占領され、タヴリダ・ソビエト社会主義共和国に取って換えられた。だが4月末になると、今度はドイツ帝国に援助されたウクライナ人民共和国軍のクリミア攻勢によりボリシェヴィキは駆逐され、同年6月25日に最初のクリミア地方政府が設立された。

 

 

当時、ドイツは、トルコとならぶ、ロシアの隣国だった。
そしてまた、黄金の20年代、ベルリンにはナボコフを受け入れるくらいの文化があった。