23日付け朝日新聞 大阪版文化欄
さすが羽生善治、という記事だった。
昔から、農家の方などと比べると棋士は絶対的な存在ではないと思っていました
それは文学者も同じ。ここにつづく「が、」の後がすばらしい。
が、本来むきあわなければいかなかったことをAIによって考えるようになりました
「平成の覇者」と呼ばれるような棋士であればこそ、AIに圧倒的な力をみせつけられている状況にあっても、自分になにができるのかが見えるのだろう。
AIも探索しない空白の場所はかならず存在します
私は、自分がそこまでいっているようには思えない。しかし、人生の終わりがそう遠くなくなっていることは判る。若い人たちの活躍を羨ましく思うことも少なくない。
(加齢による衰えという)社会常識が隅々まで浸透しているので、自分自身も影響を受けないのは難しいですが、経験の中から本当の力として使えるものを見出したいと思っています。
「加齢の衰え」は人それぞれ、自分の場合は、必ずしも「影響」だけではないような気もするが、しかし、
後悔の多い人生こそ充実している。甲乙付けがたい局面、難しい状況にたくさん出合っているということですから。
後悔の数では、私も人後に落ちない。