高橋源一郎『「あの戦争」から「この戦争」へ』 と 荒川洋治『文学の空気のあるところ』

二人とも、社会の中に入っていって、文学を探している。

高橋氏の方が、より徹底的なのは、たぶん、文学の力をもうあまり信じていないからだろう。にもかかわらず、文学があるとすれば、こんな風なんだろうと思わせるようなところがある。いろいろなことを知っているし、いろいろな語り方ができる。政治的発言にも、どことなく小説家らしさがあって、いい。

にもかかわらず、話を聴きに行くなら、荒川氏ではないかと思う。

C. A. F. Kluge: Versuch einer Darstellung des animalischen Magnetismus, als Heilmittel, Wien 1815

1800年前後のヴィーンは、違法出版が公然と行われ、検閲も厳しかった。オン・デマンドで簡単にコピーを取れる時代になったが、専門家の手が入っていないだけに注意が必要である。
Kluge 正本は、Berlin 1811

Johann Christian Reil, Johann Christoph Hoffbauer (hg.): Beyträge zur Beförderung einer Kurmethode auf psychichem Wege
も、ウィーンの国立図書館所蔵は、1816年版で、一般に使用されている1808年版とは頁数が違っている。1808年版は、ベルリンの国立図書館が全巻所蔵。バイエルン国立図書館には欠巻がある。

ところが、どういうわけか、ベルリンの資料は、日本から簡単にダウンロードできない。

神々のたそがれ

アレクセイ・ゲルマン監督
たそがれ、というより、いない、という方が近いだろう。神のいない世界には、時間的にも空間的にも、およそパースペクティヴがない。切れ切れの接写で構成される場面、反復される物語。

文明化を知らない世界。牛や豚と変わらない人間たちが、なんだか殺したり殺されたりしているのだが、なにも進展しない。
ルネサンスのない世界。ボッシュブリューゲルのグロテスク絵画は、なんといってもルネサンスの産物なのだ、と今さらながらに思った。
廊下での立ち話で、ランズマンの最新作が上演されていることを知った。ネットで調べているうちに、この映画を見ておこうと思った。
ランズマンの方は、まだ京都でやっている、が、もう満腹。

文体

後藤明生坂上弘高井有一古井由吉 編集 1978年の創刊号から1980年最終号まで、季刊全12冊を一冊220円で購入。
天下茶屋の喫茶店で、最終号掲載の川村二郎の神社の話を読んだ。神明造とか、権現造とかいう様式論が本題なのだろうが、こちらの勉強不足でお手上げ。ただ、それ以前のレベルでは、大いに刺激になった。近所の散歩が楽しみになってきた。

ジャン・パウル『抜き書き帖』

草稿資料がデジタル化された。

Jean-Paul-Portal: Projektdetails

『抜き書き帖』を自宅で読むことができるようになるとは、研究を始めた頃には夢にも思わなかった。著作権切れの資料も簡単にネット経由で入手することができる。

Heidelbergische Jahrbuecher der Litteratur. Achter Jahrgang. Heidelberg (Mohr und Winter) 1815

Carlo Gozzi: Theatralische Werke, aus d. Italiaenischen u+bersetzt. Zweiter Theil. Bern (bey der typographischen Gesellschaft) 1777

Allgemeine theologische Bibliothek. Erester Band. Mietau (bey Jacob Friedrich Hinz) 1774

ネットがなかった頃には、どこに所蔵されているかもわからなかった資料である。

今や、少なくとも資料収集という点では、ドイツでも日本でも研究条件にそれほど違いはない。どれだけ読み込み、考え抜くことができるか。それだけである。

オールド・テロリスト

村上龍

小説という形式を使って、近年のテロリズムを内側から描いてみせた傑作。

文藝春秋連載は、昨年夏に終わっているはずだが、いまだ単行本がでないのは、どういうわけだろう。

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いや、イスラム国関連の一連のテロは、端的な人間憎悪という点で、『オールド・テロリスト』の域を越えてしまっているのかもしれない。

 

フロイト講義<死の欲動>を読む

小林敏明著
『快原理の彼岸』読解。「死の欲動」という概念がどのような思考過程を経て、形成されたのかが丁寧に追跡されている。
講演記録のようにみえるが、そうではないらしい。
あとがきに、菅谷規矩雄の話が出てくる。名古屋にいた頃は、緑区鳴海の団地に住んでいたという。89年死去というのも、(迂闊にも)今まで知らなかったことだった。学生運動の詩人ということで、遠い人だと思い込んでいたが。