Joachim Kaiser

dradio.de / Kultur を聴いていたら、シューマンクライスレリアーナの話をしていた。一曲ずつ、それがどういう音楽なのか、言葉をつくして語っていく。そして、それぞれの曲について、何人かの演奏を紹介していた。

まず、ヴィルヘルム・ケンプが出てくるのは、世代的な感性なのだろうか。ケンプ77歳の演奏には、なにかしらまどろっこしさがある。ブレンデルは、同じテンポで弾いているが、コントラストがはっきりしている。が、ケンプの抒情的な演奏はいまだ一聴の価値がある(と言いつつ、第二曲はケンプではなく、ウチダの演奏を聴くのだった)。別のところでは、ケンプ(父親オルガニストだった)のゆっくりとしたアルペジオを聴き、シューマンがバッハのトッカータとフーガをどうやって取り込んでいるのかが示される。

ホロヴィッツを驚嘆させたアシュケナージの早弾き。内田光子コクトーの対比。シフ、ルビンシュタイン、ルプー、とならべて聴いてみると、一つのフレーズがそれぞれ独特のニュアンスで立ち上がってくることが判る。

ホロヴィッツが、アイヘンドルフの詩を諳んじていたという話。ルビンシュタインが当然のように語るピアノテクニックは、他の誰かが試みてもまったく効果を発揮しない、といった話。コルトーの間違った打鍵を、自分の正確な打鍵よりも高く評価していたグルダの話。

終曲は、ホロヴィッツが1969に録音した演奏。後年の演奏はダメなのだ、と。もちろん、途中、第一交響曲(マリナー指揮)の一節が挿入されたりもする。

Süddeutsche Zeitung で音楽評論を書いていたが、今年の5月に亡くなった。