dradio: Bescherung in der Konfitürenburg -Tschaikowskys "Der Nussknacker"

https://www.deutschlandfunkkultur.de/bescherung-in-der-konfituerenburg-tschaikowskys-der-nussknacker-dlf-kultur-9fd88b4e-100.html

チャイコフスキーの「くるみ割り人形」は、最後の交響曲とともに、どうも気になる。
話をしているのは、Wladimir Jurowski という人で、1972年、モスクワ生まれ。外国人のドイツ語なので、判りやすい。2017年クリスマス、ベルリン放送交響楽団を指揮して、この曲を演奏したらしい。

ユロフスキは、この曲を Symfonisches Ballett と言っている。
とても大胆な、純粋に交響曲的な音楽で、当時のバレリーナはどういう動きが正しいのかわからなかった。1891年の「くるみ割り人形」は、1913年の「春の祭典」を先取りしている、と。

チャイコフスキーは、滑稽で不気味なイメージ(ulkige unheumliche Gestalten)に愛着があった。幽霊、老人、とくに、年老いた女性に対する不安を抱えていた。それが、ドロッセルマイヤーのモチーフでは、悪魔が足を引きづっているようなビオラ演奏に現れている、というのだが、よく判らなかった。

チャイコフスキーは、この曲を作曲した頃、パリ万国博覧会 (1989) を訪れている。作曲家が興味を示したのは、エッフェル塔ではなく、展示されていた新しい楽器だった。チェレスタの天国的な響きは、砂糖の妖精の踊りとなる。

フィナーレのワルツは、子ども部屋での体験、冬の夜の舞踏会、空想のお菓子の国での体験の総体 (summa summarum) である。端的に生きていること、それ自体の祝祭になっている。泡立つような生の喜び (überschäumende Lebensfreune) それだけ。ほかにはなにもない。
いつかは、これらすべてが砕け散る。讃美 (Apotheose) と言われるフィナーレは、クララのクリスマスの夢からの覚醒、生への帰還と解釈されることもある。女の子が大きくなった。子どもであることが終わり、一人の女性となって目覚める、という見方もある。
ノスタルジー、二度と帰ってこない幸福な子ども時代に漂う悲しみ。
しかし、作曲者はすでに、50歳になっていた。
Wiki.によれば、くるみ割り人形が1892年。悲愴交響曲1893年

モスクワのオーケストラの演奏がCDになっている。

https://www.br-klassik.de/aktuell/br-klassik-empfiehlt/cd/album-der-woche-tschaikowsky-nussknacker-vladimir-jurowski-100.html