一寸法師/何者

明智小五郎事件簿 II(集英社文庫)には、この二つの作品が収録されている。編集方針としては、事件発生順にならべるということらしい。巻末の年代記によると、一寸法師事件も何者事件も、1925年あたりに起こったとされる。しかし、作品発表年は、『一寸法師』が1926年、『何者』が1929年である。『一寸法師』の方が後だろうと思ったのは、推理小説が書けなくなって、猟奇的になっていったのだと独り合点していたためである。
推理小説としては、『何者』の方が本格的なのかもしれないが、表現としては断然、『一寸法師』の方がおもしろい。とりわけ、一寸法師登場の場面はさすが。

畸形児は小娘のように手を口にあてて少しからだをねじ曲げ、クックッといつまでも笑っていた。紋三はいくらもがいてものがれることのできない悪夢の世界にとじこめられたような気持がした。耳のところでドドドドドと、海の遠鳴りみたいなものが聞こえていた。

「畸形児」、ひょっとすると「小娘」も、不適切な言葉になるのだろうか。悪趣味といえば、その通りなのだが、強烈である。

忙しい、時間がない、と言いつつ、シューマン交響曲を聴きながら、一気に読んでしまった。こういう時間のムダ遣いをしなければ、もっといい仕事ができたに違いない。高校生になった頃には、すでにそれに気づいていた。しかし、こういうムダが自分にはどうしても必要なのだということに気づくまでには、ずいぶん時間がかかった。