蜘蛛男

明智小五郎事件簿 III
人魚になった死体。銀幕から滴る血。
読むにしたがって、次に何が起こるのかがうっすらと意識に上ってくる。
異様な読書体験だった。
明智くんのような明晰な推理ができるからではない。
おそらく、小学生の頃、読んだことがあるのだ。読んだことすら記憶にない。忘れているのは、忘れようとしたからではないか。江戸川乱歩の話は、どれも怖かった。

それにしても、『一寸法師』とはずいぶん違う作品である。解説によれば、途中、作者には創作活動のブランクがあったとのこと。

さて、平田青年のいわゆる「友だち」なるものが、どんな異様な「友だち」であったのかは、やがてわかる時がきた。しかし、それまでに、たっぷり一時間の余裕がある。その間を利用して、同じ空き家の別の部屋には、どのようなことが起こっていたか、それを読者にお知らせしておこう。

こういう解説的な語り方をしていても、物語の緊張が緩むことがないあたりが、乱歩の手腕ということなのだろうか。発表されたのは、『講談倶楽部』。Wiki.ja によると、もともと「速記講談」を連載していたという。講談、映画の弁士の文体なのかもしれない。ジャン・パウルの語り口もこれに似たところがある。
「たっぷり一時間の余裕」は、物語中の時間であると同時に、語り手の時間でもある。