わたしが先生の「ロリータ」だったころ

愛に見せかけた支配について
アリソン・ウッド(服部理佳 訳)

物語前半はポルノ小説。途中で放り出したのだが、年末のお勧めブックリストに挙がっているのをみて、またぞろ引っ張り出したのだった。
最後の数十ページ、第三部がおもしろい。
ノンフィクションということなので、作者の体験記になるわけだが、体験そのものは、どこにでもありそうな話しではある(だから、深刻なのであるが)。おもしろいと思ったのは、作者の実体験の中から『ロリータ』を読み直すくだりである。
なぜロリータは貧しい生活を強いられているにもかかわらず、ハンバート・ハンバートの下に戻らなかったのか。
わたしは、ハンバート・ハンバートの物語をドンキホーテと重ね合わせて、滑稽譚として読んでいた。ドロレス・ヘイズをめぐる話は、なかば語り手ハンバート・ハンバートの妄想で、そのことが、この場面で暗示されているのだ、と。
しかし、『ロリータ』をドロレスの側から読むとどうなるのか。フェミニズムというのは、こういうことなのか、と今さらながら教えられた。『テヘランで・・・』がおもしろかったのも、そういうことだったのだ。
最後の方で、作者は、蝶の標本を購入する。ナボコフの蝶。ナボコフもまた有罪なのだろううか。