「コロナウイルスと古井由吉」柄谷行人

『群像』7月号 柄谷行人は、古井由吉と同世代、あるいは、同世代と考えている。そうなのか。先月号掲載の追悼文には、内向の世代、とあった。このエセーを読んで、なんだか納得した。雪の下にいたのは、蟹ではなかった、とは。

バビロンの流れのほとりにて

森有正 1冊150円の古本棚でも、この本は静かに輝いていた。いなかの本屋さんで手にとったのは、この背中に惹かれてのことだったのかもしれない。装丁は栃折久美子。初版19刷(昭和55年刊)。そんなに売れたのか。 これは美が、人間の内面とは関係な…

四天王寺古本市

昨日、今日と二度出かけた。昨日は、台風は逸れたものの、時々、風、雨というお天気のためか、お客さんもまばら。どうなることかと思いきや、今日はまずまず、だったのではなかろうか。 ヴァイス『ヘルダーリン』300円実を言えば、なにがいいのだか判らない…

ハイドンのピアノソナタ

https://www.deutschlandfunkkultur.de/interpretationen ハイドンのピアノソナタは、対話のようだという。たしかに、二人のドイツ語の延長上に、むりなく音楽が続いていく。1732年生まれということは、シューマン(1810生)のおじいさんくらいか。

鈴木武樹訳『見えないロッジ・第一部』

ジャン・パウル=文学全集1(創土社) 天牛堺書店にて購入。2巻揃いでゴム止め。各980円。 拾い読みしてみて、判ったことは何か? もし新訳を出すつもりなら、この翻訳は読まない方がいい。この文体で訳し始めたら、多分、この翻訳を超えることはできな…

Interpretationen

Deutschlandrundfunk.Kultur の音楽番組。日本時間で、日曜22時から0時まで。 昨夜は、シューマンの第四交響曲をどう演奏するのか、という話。いくつかのテーマを中心に、聞き比べをするので、素人にも、演奏によってどのくらい曲の感じが違ってくるのか…

Joachim Kaiser

dradio.de / Kultur を聴いていたら、シューマンのクライスレリアーナの話をしていた。一曲ずつ、それがどういう音楽なのか、言葉をつくして語っていく。そして、それぞれの曲について、何人かの演奏を紹介していた。 まず、ヴィルヘルム・ケンプが出てくる…

Logen-Blog

https://www.literaturportal-bayern.de/blog?task=lpbblogs&layout=category&category=179 Frank Piontekによる、毎日、ジャン・パウル『見えないロッジ』を読む試み。24.09.2012に始まって、22.12.2014に終わっている。

自由の創出

ジャン・スタロビンスキー(小西嘉幸 訳)四天王寺の古本市で購入。1000円。 18世紀がロココ趣味だけではないことは判る。自由がひょっとしたら、発明されたものかもしれないことも判る。しかし、自由とノイマンのバロック教会がどのように結びつくのか。 …

吾輩は猫である

朝日新聞連載終了。といっても、この作品はもともと朝日新聞とは関係がない。 猫が最期に呑むのは、酒だとばかり思っていた。 思えば、中学生だか、小学生だかの頃、『路傍の石』や『次郎物語』といっしょに、子ども向けの本で読んだきりだった。ビールでは…

Adolf Wölfli 1864-1930

名古屋市美術館で回顧展を見た。 絵画というのか、本というのか、とにかく稠密に描き込まれた線描がそれだけで、表現になっている。精神病棟で制作されたという。 フロイトが生まれたのが、1856年。シュレーバーは、1842年に生まれている。ユングは、1875年…

聖アントニウスの誘惑

クラーナハ展(大阪国立国際美術館) 全景には、幻想に捕らえられ宙に浮かんだアントニウス。まるで聖人自身が幻想の一部になってしまったかのようである。しかしまた、遠くに見える町は、なにごともなかったかのように静かで、これまた不気味である。 遠景…

バッハ『音楽の捧げ物』

Herbert Kegel u. Rundfunk-Sinfonieorchester Leipzig, 1972 フリューゲル=ピアノフォルテのボヤーっとしたリチュルカーレで始まり、ゆっくりとフーガ、カノン、ソナタが続く。後半は、パウル・デッサウとヴェーベルンの編曲が並んでいるが、まるで最初か…

ひかり埃のきみ

福田尚代 回文。前から読んでも、後ろから読んでも同じ文字列。たとえば、 眼鏡がない。田舎ね。カメめがねがない。いなかね。かめ。 なんていうレベルなら、ちょっと考えればできる。 しかし、これが何行にも渡り、次から次へと何ページもくり出されてくる…

『歌の子詩の子 折口信夫』

持田叙子 著 幻戯書房 岩野泡鳴、鉄幹、晶子、鴎外、啄木といった周辺の人たちとの関係がおもしろい。

Altweibersommer

Altweibersommer ist in deutschsprachigen Ländern die Bezeichnung für eine meteorologische Singularität. Es handelt sich um eine Phase gleichmäßiger Witterung im Spätjahr, oft im September, die durch ein stabiles Hochdruckgebiet und ein war…

『楡家の人びと』

北杜夫トマス・マンを読むなら、楡家の人びと、と、勧められたことがある。作者は、マンのどこを学んだのだろうか。 - 戯画化された人物像- 史実と(虚構の)家族史の交差 しかしまた、 - 自然描写- 病気、死の描写- 戦争体験の記述(城木という登場人物を設…

The Danish String Quartet

Per Nørgård: SQ Nr. 1, Quartetto Breve (1952) Schostokowitsch: SQ Nr. 15, Es-Moll, op. 144 (1974) Beethoven: SQ Nr. 12, Es-Dur op. 127 (1823/24) 音を押し殺したような二つの曲の後に、ベートーベンを聴くと、アダージョですら晩年の重苦しさを感じ…

Ferrucio Busoni

GrauSchumacher Piano Duo Improvisation (1916) Fantasie (1922) Duettino Concertante (1919) Fantasia contrappuntistica (1921) 生誕150年になる。 演奏会は、二台のピアノのための作品。なんだかオルガン曲みたいだった。

[本]のメルマガ vol.617

なにはともあれ書きたいという情熱がなければ、モノを書くことはできない。楽しそうに書いている人の文章を読むと、羨ましくなる。 長らく受信したままになっていたメルマガだが、読んでみれば、なんだかおもしろい。 たまたま spam となってひっかかってい…

単独者のあくび 尾形亀之助

吉田美和子著 赤と黄色の装丁が、書店でひときわ光っていたが、期待を上回る中味だった。 いかにも居場所のないといった感じの、賢治追悼会の写真が印象的。中国の最前線で、辻まことが『障子のある家』を読んでいたというのも凄い。 戦前のある時期までは、…

Hans Knappertsbusch

ラジオをつけたら、ブラームスの交響曲が流れていた。今の倍くらい時間をかけて演奏している。ライブで聴いたら、弦に呑み込まれるような感じになるだろう。ロマン派のテンポは、こんなものだったのかもしれない。 1963年録音というから、指揮者晩年の演奏で…

憲法13条 「すべての国民は、個人として尊重される」

改憲草案では、「個人」が「人」に書き換えられているという(朝日新聞朝刊 天声人語)。個人が尊重されない国で、人が尊重されることはない。それにしても、首相は選挙の勝利=改憲支持をほとんど確信している様子。そういう世の中になってしまったのだろう…

トリオ ジャン・パウル

http://triojeanpaul.de/ ジャン・パウルの名を冠したのは、シューマンに特別の親近感があるから。「詩的な音楽」というロマン派の理念を介して、古典音楽と現代音楽を結ぶのだ、と。

門 99回(朝日新聞朝刊)

「法華の凝り固まりが夢中に太鼓を叩くようにやって御覧なさい。頭のてっぺんから足の爪先までが悉く公案で充実したとき、がぜんとして新天地が現前するので御座います」 宗助は自分の境遇やら性質が、それほど盲目的に猛烈な働きを敢えてするに適しない事を…

鶴見俊輔 『埴谷雄高』

同時代批評の凄みというべきか。両者の間の離接に臨場感がある。 埴谷雄高は、マクス・シュティルナーを通して、アナーキズムに接近していったのだという。

三輪太郎『憂国者たち』

群像九月号 三島由紀夫の『豊穣の海』は、いまだ読んでいない(絶対に読め、と言われたにもかかわらず)ので、ただの当てずっぽうだが、ひょっとすると、この物語はその第五部にあたるのかもしれない。それにしても、この大量難民の時代に、「本物の天皇」や…

ボディ・クリティシズム

バーバラ・M・スタフォード(高山宏 訳) 神経系モデルの人間学が、解剖学モデルに対立するという見方がおもしろいと思った。リヒテンベルクの Pathognomie の表面性も、この繋がりで積極的な意味を帯びてくる。ラファータの観相学にある神学的な深みを用心…

高橋源一郎『「あの戦争」から「この戦争」へ』 と 荒川洋治『文学の空気のあるところ』

二人とも、社会の中に入っていって、文学を探している。 高橋氏の方が、より徹底的なのは、たぶん、文学の力をもうあまり信じていないからだろう。にもかかわらず、文学があるとすれば、こんな風なんだろうと思わせるようなところがある。いろいろなことを知…

C. A. F. Kluge: Versuch einer Darstellung des animalischen Magnetismus, als Heilmittel, Wien 1815

1800年前後のヴィーンは、違法出版が公然と行われ、検閲も厳しかった。オン・デマンドで簡単にコピーを取れる時代になったが、専門家の手が入っていないだけに注意が必要である。Kluge 正本は、Berlin 1811 Johann Christian Reil, Johann Christoph Hof…