『怪人二十面相』

明智小五郎事件簿 IX
この小説で、少年探偵団が結成される。

(...) きみのはたらきのことを、学校でみんなに話したら、ぼくと同じ考えのものが十人もあつまっちゃったんです。
 それでみんなで、少年探偵団っていう会をつくっているんです。むろん学校の勉強やなんかのじゃまにならないようにですよ。ぼくのおとうさんも、学校さえなまけなければ、まあいいってゆるしてくだすったんです。

1936年、『少年娯楽部』に連載。同じ雑誌に、『のらくろ』が連載されている。『のらくろ』の連載開始は、1931年。

ところが、二十面相のおもわくはがらりとはずれて、小学生たちは、にげだすどころか、わっとさけんで、賊のほうへとびかかってきたではありませんか。
 読者諸君は、もうおわかりでしょう。この小学生たちは、小林芳雄君を団長にいただくあの少年探偵団でありました。

一寸法師』の作者がこういうテクストを書いたのは、やはり時代の圧力がかかっているのか。あるいは、これも作者の力業というべきか。
 どういうわけか、今回は『蜘蛛男』を読んだときのような既読感がまったくなかった。『怪人二十面相』はぜったいに読んでいたはずなのだが、

蜘蛛男

明智小五郎事件簿 III
人魚になった死体。銀幕から滴る血。
読むにしたがって、次に何が起こるのかがうっすらと意識に上ってくる。
異様な読書体験だった。
明智くんのような明晰な推理ができるからではない。
おそらく、小学生の頃、読んだことがあるのだ。読んだことすら記憶にない。忘れているのは、忘れようとしたからではないか。江戸川乱歩の話は、どれも怖かった。

それにしても、『一寸法師』とはずいぶん違う作品である。解説によれば、途中、作者には創作活動のブランクがあったとのこと。

さて、平田青年のいわゆる「友だち」なるものが、どんな異様な「友だち」であったのかは、やがてわかる時がきた。しかし、それまでに、たっぷり一時間の余裕がある。その間を利用して、同じ空き家の別の部屋には、どのようなことが起こっていたか、それを読者にお知らせしておこう。

こういう解説的な語り方をしていても、物語の緊張が緩むことがないあたりが、乱歩の手腕ということなのだろうか。発表されたのは、『講談倶楽部』。Wiki.ja によると、もともと「速記講談」を連載していたという。講談、映画の弁士の文体なのかもしれない。ジャン・パウルの語り口もこれに似たところがある。
「たっぷり一時間の余裕」は、物語中の時間であると同時に、語り手の時間でもある。

一寸法師/何者

明智小五郎事件簿 II(集英社文庫)には、この二つの作品が収録されている。編集方針としては、事件発生順にならべるということらしい。巻末の年代記によると、一寸法師事件も何者事件も、1925年あたりに起こったとされる。しかし、作品発表年は、『一寸法師』が1926年、『何者』が1929年である。『一寸法師』の方が後だろうと思ったのは、推理小説が書けなくなって、猟奇的になっていったのだと独り合点していたためである。
推理小説としては、『何者』の方が本格的なのかもしれないが、表現としては断然、『一寸法師』の方がおもしろい。とりわけ、一寸法師登場の場面はさすが。

畸形児は小娘のように手を口にあてて少しからだをねじ曲げ、クックッといつまでも笑っていた。紋三はいくらもがいてものがれることのできない悪夢の世界にとじこめられたような気持がした。耳のところでドドドドドと、海の遠鳴りみたいなものが聞こえていた。

「畸形児」、ひょっとすると「小娘」も、不適切な言葉になるのだろうか。悪趣味といえば、その通りなのだが、強烈である。

忙しい、時間がない、と言いつつ、シューマン交響曲を聴きながら、一気に読んでしまった。こういう時間のムダ遣いをしなければ、もっといい仕事ができたに違いない。高校生になった頃には、すでにそれに気づいていた。しかし、こういうムダが自分にはどうしても必要なのだということに気づくまでには、ずいぶん時間がかかった。

Bad Maulbronn

カッツェンベルガー博士は、かれの論文を批判したシュトリックを殴るため、娘の手オーダは、憧れの詩人トイドバハの朗読を聴くために、マウルボルン温泉に出かけるのだった。

2019年、マウルブロン修道院に出かけたとき、博士の旅のことはすっかり忘れていた。ネットで調べてみると、近くに、Bad Schönborn という温泉があるらしい。

しかし、ジャン・パウルがシュトットガルトに出かけるのは、1819年。Schweikelt の Chronik によれば、1808年、二回にわたって、コッタにシュトットガルト移住を打診されるが、断っている。いずれにしても、修道院とは関係なさそうである。

「Maul =口 の温泉」ということか。

丸山眞男の敗北

伊東祐吏 2016(講談社選書メチエ
これも後半「開国」のあたりから、話しが面白くなる。
外来のものを受け入れる「古層」があるはずだが、それは「層」というほどの実体ではない。それを表すために、丸山は音楽用語を借用し、「執拗低音(バッソ・オスティナート)」と言う。「通奏低音バッソ・コンティヌオ)」とは違って、高音メロディに合わせて、低音も微妙に変化していくのだ、と。
戦中の大学に対する思想統制に対して、東大法学部は最後の砦だったという。「研究室全体がいわば密室のようになり、外に吹き荒れる嵐の中で互いに身を寄せ合っているという状態」をどう考えるのか。追い詰められていたことは間違いない。そういう場所があっただけでも幸福だったのではないか、とつい考えてしまうが、それは戦争を知らない人間の脳天気な想像にすぎないのかもしれない。
丸山の思想は、激しい逆風があればこそ高く上がる「凧」に例えられている。そういえば、ベンヤミンの新しい天使も、猛烈な風の中、羽を広げたまま後ろ向きに吹き飛ばされていたのだった。

わたしが先生の「ロリータ」だったころ

愛に見せかけた支配について
アリソン・ウッド(服部理佳 訳)

物語前半はポルノ小説。途中で放り出したのだが、年末のお勧めブックリストに挙がっているのをみて、またぞろ引っ張り出したのだった。
最後の数十ページ、第三部がおもしろい。
ノンフィクションということなので、作者の体験記になるわけだが、体験そのものは、どこにでもありそうな話しではある(だから、深刻なのであるが)。おもしろいと思ったのは、作者の実体験の中から『ロリータ』を読み直すくだりである。
なぜロリータは貧しい生活を強いられているにもかかわらず、ハンバート・ハンバートの下に戻らなかったのか。
わたしは、ハンバート・ハンバートの物語をドンキホーテと重ね合わせて、滑稽譚として読んでいた。ドロレス・ヘイズをめぐる話は、なかば語り手ハンバート・ハンバートの妄想で、そのことが、この場面で暗示されているのだ、と。
しかし、『ロリータ』をドロレスの側から読むとどうなるのか。フェミニズムというのは、こういうことなのか、と今さらながら教えられた。『テヘランで・・・』がおもしろかったのも、そういうことだったのだ。
最後の方で、作者は、蝶の標本を購入する。ナボコフの蝶。ナボコフもまた有罪なのだろううか。

die große Jean-Paul-Ausgabe bei Hanser

ジャンパウル全集 6巻本
今は、全10巻になっている全集だが、学生にとってはちょっとした買い物だったはずである。「研究するつもりなら、これを買え」と助言してくれる先輩がいたのだ。当時の大学には。
 6冊のうち、一番使い込んでいるのは、晩年のテクストが収録された第6巻である。箱に積もった埃を、いささか情けない思いをしながら、丁寧に払い、ゆるゆると『カッツェンベルガー博士の湯治旅行』を読んでみる。たしかに、この小説は、週刊新聞に掲載された広告文で始まるのであった。直接話法で書かれている。

7月1日に、自分の馬に自分の馬車で、自分の娘を連れてマウルブロン温泉へ旅立つ学者が若干名の同行者を募集中