2022-01-01から1年間の記事一覧
バルト:恋愛のディスクール。1976年2月19日の講義。苦悩 Angoisse というフィギュールの定義:「恋愛主体は、ささいな出来事が起こるにつけて、危険や痛手、情緒的な破滅に対する激しい恐怖に駆られるのを感じるが、それは主体が苦悩という名で言語化する感…
朝日新聞(大阪版)11日、12日によれば、音楽界でもロシアボイコットが起こっているという。指揮者ゲルギエフは、プーチン大統領に近いと言われるだけに、まあ、そういうことも起こりうるかもしれないとは思う。オーケストラを経営するためには、政治的な行…
Berliner Philharmoniker Digital Concert HallKurt Schwitters ”Ursolate" を演奏 (?) している。こういうイベントは、デジタルコンサートだから観ることができる。と、思ったら、今や、サイトをちょっと検索すると、いろいろ出てくるのだった。
気になったので、前後を調べてみた。http://www.koelnklavier.de/quellen/schumann/kr080.html Und diese himmlische Länge der Symphonie, wie ein dicker Roman in vier Bänden etwa von Jean Paul, der auch niemals endigen kann, und aus den besten Gr…
長らく放置していた7日間無料チケットを使ってみた。2021年8月27日演奏会。ペトレンコ指揮で、ウェーバー『オベロン』、ヒンデミット『ウェーバーの主題による・・・』、シューベルト交響曲8番(かつては、8番と言えば未完成だったが)。シューベルトは、こ…
アナーキズムを特集している。
ロラン・バルト『恋愛のディスクール』1976年2月19日講義フィギュールとしての〈恋愛〉は以下のように「定義」される。「概念として、〈恋愛〉は必ず恋愛主体によって操られるイメージを構成する。しかしながら、そのフィギュールは恋愛主体が〈恋愛〉につい…
大阪出身だったのだ。1898年に生まれて、1928年に亡くなっている。パリに渡航したのが、1924年。ちょうど黄金時代、一番いい時期に留学していたことになる。行き先をデッサウにしていたら、どうだったのだろうか。中之島美術館会館記念展開催中だが、新型コ…
朝日新聞連載 なんだかドイツ社会文化講義みたいな話が続いている。私が退屈するのは、ドイツのことを多少知っているからなのか。ひょっとすると、生物学に通じた人にとっては、『ドリトル先生』は全然おもしろくないのかもしれない。白鶴亮翅の意味を調べる…
「どんな量であれ、文学をこととする者すべてに向けてのアピール」(Arno Schmidt) ジャン・パウル協会の年報を整理していたら、Klaus Pauler の追悼文が見つかった (JbJPG 2018)。1982年10月19日にフュルトの市立図書館で行った講演を、パウラーはこの言葉で…
バルト『恋愛のディスクール』1975年2月6日の講義「言語活動のエロス化」、とバルトは言う。「言語活動(ディスクール)は肌のようで、広大な『性感帯』のようである」と。ディスクールを、かぎりなく音楽に近いところで読んでいる。しかし、おもしろいのは…
朝日新聞連載地球の穴を突き抜けて、反対側に到着するまでの時間は、よく判らなかったが、それでもおもしろい。ずいぶん前になるが、チャールズ・ダーウィンとドリトル先生との間でどんな話が交わされたのか、スタビンズ君はもう少し丁寧に記録しておいてほ…
バルト:恋愛のディスクール 1975年1月30日の講義では、主体の「二重のディスクール」が問題になっている。1) 過剰な情熱(が恋愛なのであった)を愛する人にすべて見せるべきではないのか。2) この過剰な情熱は隠すべきではないのか。ウェルテルとロッテは…
日本で放送されているかぎりでは、ウクライナ情勢がまったく報じられていない。話題は、もっぱらコロナ感染。相当深刻らしい。が。
https://www.deutschlandfunkkultur.de/arnold-schoenbergs-zweites-streichquartett-op-dlf-kultur-671d4ca4-100.html 1985、86年頃 (1988?)、Gewandhaus SQ が録音している。現代音楽の演奏を許可することによって、東ドイツ政府は、自由化を目指している…
バルト:恋愛のディスクール 『ウェルテル』の中で、主人公が愛するシャルロッテは「無意味で色あせている」。1975年1月23日講義では、「無力化」Annulation というフィギュールに要約されている。1976年2月26日講義でも、「無力化」が語られているが、そこ…
「(ウェルテルは、)〈私は-あなたを-愛しています〉と言うことが(いかなる理由があるにせよ)一度もできなかった人物である」。1975年1月23日の講義では、Ich liebe dich. (私はあなたを愛している)が一塊の叫びであり、そこには、要求、充足、弁証法…
文學界2月号。コンピュータのプログラムが起動して、なにやら意味があるようなないような文が生成される。さて、どうなるのか。いかにもこの作者らしい筋立てだが、どういうわけか飽きない。ところで、今回、あっ、と、思ったのは、この作品につづくエッセー…
https://dtkame.hatenablog.com/entry/2022/02/18/121415 多分、読み違え。「古い物語が、いつも新しくあり続ける・・・」は、『恋愛のディスクール 断章』を読めばその通り。「ひとつのテクストのなかにすべてがある」。なるほど。恋愛と恋愛のディスクールは…
『文學界』2月号三つの連続インタビューのうち、テーマに一番接近しているのが、ゲームを作っているという三宅陽一郎氏の話。カウンセリング用に作られた「ELIZA」では、AIが「主体」として人間と対話していた。しかし、キャラクターが生まれると、語る主体…
そういえば、ずいぶん前に、ホフマンの『くるみ割り人形』を授業で読んだことがあった。ある少女のクリスマスの夢? テクストは正真正銘の古典的なドイツ語で、読み進めるのに、苦労した。しかし、音楽なら難しくないのか、といえば、そうでもない。物語も、…
https://www.deutschlandfunkkultur.de/bescherung-in-der-konfituerenburg-tschaikowskys-der-nussknacker-dlf-kultur-9fd88b4e-100.html チャイコフスキーの「くるみ割り人形」は、最後の交響曲とともに、どうも気になる。話をしているのは、Wladimir Juro…
1975年1月9日の講義バルトはハイネ=シューマンをドイツ語で引用して Es ist eine alte Geschichte,Doch Bleibt (!) sie immer neu.(それは古い物語、けれどもいつも新しい) こう続ける「実際のところ、テクスト研究の目的は新しさである。歴史的、社会学…
https://www.deutschlandfunkkultur.de/das-alte-testament-der-klaviermusik-dlf-kultur-a9ba221d-100.html こちらは、平均律クラヴィア曲集第一集の聴き比べ。Christine Schornsheim という人が話をしている。ちょっと調べてみたら、やはりチェンバロ奏者…
チェンバロがこれほどいろいろな音を出す楽器だとは思わなかった。バロック宮殿に反響するようなバシャーンという音に混じって、ギターのような音、琴のような音が聴こえてくる。装飾音もよくよく聴いてみると、おもしろい。おそらく、よくよく聴かせるよう…
実際にあったのかどうかも分からない偽書をめぐる物語。小津久足は実在の人。竹沢屋儀兵衛なる酒屋が、小津の紀行文と称する『皆のあらばしり』を書いたかどうかはすでに定かではない。その文書が竹沢家に残されているというのは、浮田くんの言葉を信じれば…
dradio Kultur: Lange Nacht https://www.deutschlandfunkkultur.de/lange-nacht-ueber-guenter-de-bruyn-schriftsteller-dlf-kultur-d0c60ffd-100.html 1時間ほど聴くと、『ジャン・パウルの生涯』の話になる。"Das Leben des Jean Paul Friedrich Richter"…
最年少五冠ホルダーと最年長現役A級棋士。ともに、修業時代は、棋界のメインストリームからはずれていた。
1974年11月、クロアチアの指揮者とソ連のピアニストが、よりによってモンテカルロで共演。実に怪しい。1974年といえば、まだ中学生だったのか。ボクは。もちろん、冷戦時代のモナコ王国がどんな地政学的な役割を果たしたのか、当時はもちろん、今も知らない…